こころが光に変わるとき

スピリチュアルなことを綴っていきます

人間ドラマ

ワンネス

全ては一つである。

だから私が私を愛するとき、世界は愛の世界に変わる。

 

だけど普段の生活でそのことをわすれてしまう。

 

目の前で起きる出来事に、一喜一憂する。

 大切なことは私は光であること、

 大切なことは私は愛であること、

 

自分の意識が全てだと思う。

意識が現実世界に没頭して、人間ドラマの中にはまってしまうと、

ワンネスも光も愛も忘れてしまう。

 

愛されない自分に意識を向け、

足りない自分に悲しんで、

病気におそれて、

路頭に迷うことに不安に思う

 

だけど意識を自分の内側に向けると、光がみえてくる。

自分の意識を自分の中の光に向けるだけで、瞬間に気持ちが変わる。

 

本当に簡単なことだけど、本当に難しく感じてしまう。

 

全ては自分、全てが自分、自分の中にすべての宇宙が存在する。

私が外の世界を認識しなければ、外の世界は存在しないから。

だからすべてはワンネスなんだ。

 

どんな時でも自分の中の愛に気づこうよ。

目隠して歩く

自分の手で目隠しをして、

闇の中で苦しんでいる。

 

手をどけて、光の中を進むこともできるのに、

自ら暗闇に意識をむけることで、進んで闇を体験している。

 

他人への批判は自分の尺度で他人をみていることだ、

自分の尺度に合わない自分もまた自分で自分を否定してしまう。

 

他人へジャッジを行わない人は、自分にも否定をしない。

そういう人は常に光の中をいく人だ。

 

私も光の中を歩きたい。

 

だからもう、自分自身をジャッジしない。

 

落ち込んだらジャッジしている自分に気づこう。

 

そうしてすぐにジャッジをやめる。

 

自分の光をみつけよう。

自分の良いところを常にみよう。

 

闇をみて生きることも、光をみて生きることも

どちらを選ぶのも自由に与えられている。

 

苦しみいきることも、楽しみ生きることも

どちらを選ぶのも自由である。

 

病気は自分で避けられない?事故は自分の意志では避けられない?

不幸は降ってわいてくる?

 

だけど、上を向いて歩くことはできるのかも。

 

まだ重い病気や今生の終わりを体験していないから、

目の前でそれが起こるとどう反応するか分からないけど。

 

いまから光の方を見る練習をしておくよ

愛とはなに

好きな人に愛されたい。

こんなに愛しているのに愛されない。

いつもいつもあの人のことを考えてしまう。

そうやって毎日すごしている。

 

愛っていったいなんだろう。

恋っていったい何だろう。

 

私の今の人生は愛がテーマになっているなぁとおもうよ。

 

人から愛されたいのに愛されない自分

他人から好かれたいのに好かれない自分

そして子供の頃を振り返るといつも孤独で疎外感をもっていた。

生きるのがつらいって思ったこともおおかったな。

 

人間にとって、恋とか愛とかは子供を作るための本能だよね。

だけど人間って子孫を残してただ死んでいくだけのものなのかなぁ

それってなんか悲しいし空しいとかんじてしまう。

 

スピリチュアル的には魂は永遠だから人間が生まれてきた目的はただ単に

こどもを作って育てるだけではないみたい。

 

自分で生まれる前に全部決めて、経験するためにうまれてくる。

 

今回は闇側で今回は光側でみたいな・・・

 

前回の生ではあいつをいじめて、苦しめてしまったな、

じゃあ次は反対を経験しなくてはいけない、いじめられるように生まれよう。

そのためには性格はこんな感じでみたいな・・・

 

私にとって今回の生は自分を本当に愛することにきづくためにうまれてきたのかも、

今はもう、善も悪もない、光も闇も同じ、自分への否定もすてたいって強く思ってきています。

 

自分が自分の気持ちを認識するから世界が存在する。

自分が自分を認識できなければ外の世界も存在しない。

だから自分を愛していると認識します。

 

人から愛されたいと思いながら、それを思うことで自分は愛されないと認識してしまう。

もうそんな世界はいやだなぁー

自分を本当に愛するように練習したいなぁー

 

自分を愛することは、すなわち世界を愛することなんだよね。

この世界はワンネスだから、

自分自身が全てを創造している。

その辺のことは私もまだよくわかっていないけど、

それはなんとなく真実なきがするよ。

 

この世界は仮想現実だよ、それを否定できるだけのことを私たちはしらない。

この世界はマトリックスの世界だよ、本当にそうかもしれないよね。

だけど、自分自身が今存在すること、それは存在をゆるされているからだよ。

それこそが愛なんだろうなぁー

 

結局今の制限された地球だと愛って本当に理解するの難しいなぁー

自分の個性を認めて自分を愛すること

自分はどうして、ふつうと違うのだろう

どうしてこんなにいきにくいんだろう・・・

 

まわりのみんなは幸せそうだなぁ

 

そんなことを考えていきてきた。

 

人間の世界にはそんなことを考えて自分を否定して、

自分は普通じゃない、世の中からはずれてしまった、人間失格なやつだと

自分を傷つけて生きているひともたくさんいる

 

だけど、ひとと違った個性をもってうまれてきた。

それは普通に平々凡々と生きることに、今回の人生での学びがないからなんだよね。

 

みんな自分の境遇、体の状態、知力、自分で最適なものをえらんでうまれてくる。

自分の役割、経験、学び、自分で全部えらんでうまれてくる。

 

そう考えると、スピリチュアルの世界でよくいわれる。瞑想して、自分のこころにしっくりくること、心がもやもやしないこと、ワクワクすること、望んでいること。

そういうものに正直に生きていくってことがやっぱり大事なんだろうとかんじています。

 

人と違う、マイノリティー、普通じゃない・・・

 

それは個性だよね。

 

みんなちがってみんないい・・・

 

多様性、千差万別、十人十色、

 

これからは個性的で当たり前の社会にかわっていくよ。

 

社会は常識があってあたりまえ、普通がいちばんいい、学力が一番大事って

そんな画一的な人間を作っていこうとする。

 

個性的なのは力のある人々だけでよいのであるっていうこれまでのしゃかい。

 

だけど全ての人が他人の個性を認め始めると、人間はみんな幸せになるにちがいない

逆に言うと、自分の個性を認められる人が他人の個性もみとめられると思う。

 

人間がもっとも繁栄するのは、資本主義の社会で奴隷のように人々が働く社会じゃないと思う。

人間がもっとも繁栄するのは、それぞれの個性で得意で出好きなことを、最大限に表現、そして自分の得意なことを求めている人のために行う、それが結果的に社会のためになることだと思う。

 

みんな好きなこと、得意なことは難しいことも簡単にやり、天才的な才能をはっきするよ!!

 

研究が好きな人が研究をする。そうするとアインシュタインが何人もうまれるかもね

美術、音楽が好きな人が芸術を追求する。

スポーツが好きな人はスポーツをする。

料理、お笑い、建築、医療、政治・・・

 

それぞれ自分にあったものを人はやっていくべきだよね。

 

今の世の中はお金のために四苦八苦しすぎだよね、人間がつくった、工場でつくられたその紙にみんなのエネルギーがのって、みんなそれを求めて苦労する。

 

そんな紙きれのために自分の幸せを切り売りすることないよね。

自分の力を自分の内側に取り戻す。

幸せは自分のなかにある。

光も自分中にある。

愛も自分の中にある。

 

私の結論は自分の個性を自分が認めて、自分を愛することそしていつも自分のやりたいことをする、それが本当の幸せだと思う。

 

自分のやりたいこと、ワクワクすることがお金儲けだったらそれはそれでよし。

 

自分の個性を認めること、そして他人の個性も認めること。

 

自分の内側に力を取り戻す。

 

そうやって、地球は光の方向へむかっているよ。

生きる不思議、死ぬ不思議

あなたはなぜ生きていますか?

わたしは生きている理由がわかりません。

 

つらいことがあったとき、かなしいことがあったとき

いきることがいやになったとき、そんなことを考えます。

 

ひとが何のために生きているのか、考えるのはばからしい?

目の前の毎日起こるげんじつをみて、まじめに、ふつうに、常識的にいきていこう。

それがただしい、それが正義で、それがあたりまえだ!!

 

そういった、自分自身の考え、そして今まで生きてきた経験、プログラミングされて植え付けられてきた常識によって、自分の檻の中に閉じ込められて今私たちは生きています。そういった檻、プログラミングされた常識がなければ、楽しんでいきていけるだろうな!!

 

ご飯が食べられなくなる恐怖、生活できなくなる恐怖、今勉強しなければ、将来不幸になるかもしれない恐怖、正義を貫けばいじめられるかもしれない恐怖、病気になる恐怖、そんな恐怖から解放されて、とことん今を楽しんで、やりたいことをやって生きていけるはずだ。

 

そうなると、たぶん死は怖くはなくなるはず、死の恐怖も瞬間の出来事としてそのままうけいれられるようになるはず。

 

そもそも動物をどんどん食べている人間が、自分の死を恐れるのはおかしなはなしだなぁとかんじる。

 

生きる不思議、死ぬ不思議、

やっぱり、人は、たぶん神の一部として、いろんなことを経験するために、みずから望んで、いろいろなことをわすれて、制限をかけて、生まれてきたっていうのは、その通りかもしれないなとおもうよ。

 

ひとは本当に自分の現実を自ら創造しているのかもしれないよ。

自らの目に映る様々な出来事、自分の現実、そういうものは本当に自分の波動によってどうにでもなるのかもしれない!!

 

冬至を前にして、いろいろ揺さぶられる。

ネガティブが襲ってくる。

だけどそれはもう捨てる!!

 

頑張ることはよくない、楽しみなさいっていうけど、私はいまネガティブをすてることに必死になっていますwww

 

生きる不思議、死ぬ不思議、

神は私、私は愛、私はあなた、私はすべて・・・

神が存在を許すから私が存在している。

そもそも神が存在を否定したら、それはもう無、空、虚無

 

全ての人は神に愛された存在だ。

全ての人は許されているよ。

良いも悪いもないはずだ。

全ては一つだから、それぞれの役割をそれぞれが演じているだけだよね。

 

今生での役割、来生では逆の役割を自らえらんでするかもね。

私はもういろいろ経験してきた感じています。

でも何一つ覚えてはいないけどねww

 

生きる不思議、死ぬ不思議、

死ぬことに恐れないで、生きることに恐れないで、

全ては幻想、すべてはあなたの波動がつくっている。

あなたのこころがポジティブになると目の前の現実はポジティブを映し出す。

これはたぶん本当だと思う。

すべてのことに恐れない自分ができあがると、チャンスをつかみやすくなる。

いろんな常識に、私たちは二の足を踏む。自分で自分に鎖をつけて、先に進めなくなる。

結局、スピリチュアルって、現実離れしているようで、そうでもない。

自己啓発とあまり変わらない気がしているよww

 

自分の中の愛を見つめてください。自分を愛することからはじめてください。

 

生きる不思議、死ぬ不思議、

それを考えてみてください、思いめぐらしてみてください。

そうすると、ポジティブに生きたほうがいいなっていう結論になるはずです。

死ぬことを恐れずに楽しく自分らしく生きることが自分にとって正しいと、結論がうまれるはず。

 

自分が好きなことをやるようになったら、他人の好きなことも許せるようになるはず。

そうやって地球は多様性の世界へと上昇していくよ。

今の環境問題とかニュースは多分に利権がちらついているよね。

 

ニュースでやっているそんな問題よりも、あなたの心の光と愛をみつめて、

みんなちがってみんないいって考えが多数になっていったときに、めにみえて世界がかわってくるよね、そういう方向に地球はすすんでいるよ。この文章をわたしがかいていることが、その一つの証拠になっていると思います。

 

生きる不思議、死ぬ不思議、

目を閉じて、少し瞑想して、自分の愛を感じてみて。

そうして、ネガティブをやめれば、きっと地球は光のほうへ・・・

 

本当の幸せ

人は一人、いつも一人、どんなに人付き合いが上手い人でも、死ぬときは一人で死んでいく、悲しいかな、いやそれほどでも・・・

スピリチュアルの世界では人はみな一つ、ワンネスだ、私は全てであり、私は神であり、私は愛そのものだ。魂は永遠で、生きることは幻想、死ぬことも幻想、だからそれほど悲しくないかな。

 

幸せってどこにあるんだろうか?

 

幸せは外側ではなく内側にありますよ!

私たちの内側に幸せがあるのだというのが今の私の真実です。

 

人に褒められたり、人より上に立ったり、結婚してお祝いされたり、成功したり、七五三、誕生日、クリスマス、成人、子供が出来たり、外の世界の出来事で人間としての幸せを体験できるよね。

 

だけど死の恐怖、病気の恐怖、仲間外れの恐怖、悪口の恐怖、やりたくないことをやること、あたりまえ、常識、教育、ルール、プログラム、ヒエラルキー、社会、政治、そんな不幸せも多分に体験してしまう。

 

それは外側の世界に自分の軸をおいてしまうとそうなるらしい。

外側でどんなに悪いことがおこっても、自分の軸、自分の内側に光をみつけると、

本当の幸せを見つけることができるようだ。

 

スピリチュアルリーダーたちはいっている。

時代の転換期にはいって、内側の光を見つめて生きるひとと外の世界をそのまま感じて生きるひとに分かれ行く、

 

スピリチュアルリーダー達がいうこともまた自分の外側で発言されていることだけど、自分の内側がどう反応するかで、その言葉の理解はかわってくる。

 

扉が閉じることに恐れを感じているひとは、自分の内側にある光をみつめて、そこにある本当の幸せ、本当の光をみつめてください。そうすることで意識が変容するはずだ。それが扉を抜けることだよね。

 

扉の向こうと扉の前、どちらを選ぶか悩む必要も、恐れる必要もないよね、全ては自作自演、全ては自分の選択だから・・・

 

生老病死、四苦八苦、生きることは苦痛だらけ、

でも自分の中にある光を見ることが悟りだよって。

仏陀、ゴータマシッタールタ、お釈迦様もいっていた。

 

生きている不思議、死んでゆく不思議、だってこの世は幻想だから、全て自分で選んで生まれてきている。

 

自分の容姿、自分の才能、頭のよさ、まわり環境、親ガチャ、宿命、運命、

自分がどんな性格で、どんなことに興味をもつか、闇側か、光側か、

全て自分で選んで生まれてくるんだそうだ。

 

いろんなことを経験するため・・・、そしてワンネスへかえっていく。

 

目を覚ましていきても、目を覚まさないことをきめても、

正解も不正解もない。良し悪しもない。

 

今回私は、もう地球でのネガティブな経験はいいかなとおもっています。

自分の中の光をみつめて、外側で何がおこっても。

自分で自分自身を愛していること、自分は光であり愛であること、本当の幸せがここにあることを見つめて、ポジティブになっていこうと思います。

 

皆さまもよかったら、自分の中の光をみつめてみてください。

 

私は光、私は真実、私は宇宙、私は愛

 

私たちは肉を食べてます。

私たちは動物を愛護します。

私たちはペットや家族が死ぬと泣きます。

私たちは戦争をして人を殺します。そしてその死んだ人の家族が悲しむこともしっています。

 

この世の中で起きることはすべてプログラムなのかもしれない。

様々な矛盾を抱えて生きている。

だけどスピリチュアルの世界では全てが幻想だといわれます。

量子力学の世界では、人々の意識がカギだと実験の結果でわかっているらしい。

それはこの世が幻想だというちょっとした証拠になっているみたいですね。

 

わたしの意識がポジティブに向いたとき、私が映し出す世界はポジティブをな幻想を

映し出しはずめるはず。そうやって地球と私たちは次元をあげていく。

 

これからは、自分の内側の光をみていこう!!

とらわれの私

過去にとらわれて、未来にもとらわれる。

そうやって私たちは生きているのだそうだ。

 

本当は今しか存在しない、

無限の幸せの可能性のある今、

無限の豊さの存在しうる今、

 

そうやって今を楽しむこと、ポジティブに今にいることを

スピリチュアルの世界では勧めているよね。

 

それが波動を上げることなんだよね

 

人間は過去や未来にとらわれる。

経験だったり、教育だったり、常識だったり、正義だったり

 

本当は正しさや常識って作られたものだよね

正しさや常識はその人それぞれの中にそんざいするよ!!

 

その人の波動の状態によって、常識、非常識はかわってくる

戦争地域のひとにとって家族のために戦うことは正義かもしれない。

人間にとって家畜の肉を食べることはこれっぽっちも悪いことではない。

 

どの位置から、どの波動の状態から、どのように教育をうけたかで常識はかわる

 

私たち生き方には正解や不正解はない

 

ただ私はもうとらわれの世界は抜けたいとおもうよ。

無限の今の幸せにめをむけて、波動下げる、過去や未来の出来事に目を向けない

ようにもっていこうと思う・・・

 

自分声が聴ける人はしあわせだ。

自分を傷つけることしないから。

他人の声を聴く人は過去と未来にとらわれてしまう。

他人の声をきくことで、自分を傷つけることを許可しているから

人に嫌われる未来を想像して、人に嫌われた過去を思い出して、

そうやって自分で自分をがんじがらめにしてしまう。

 

だけど今の無限の可能性にめをむけて、

心の中のひかりを見つめた時、

そのスイッチを押した瞬間に、

こころは光の方へ一瞬でかわる。

 

今の無限の可能性、今の無限の幸せ、全ては愛

絶対に波動をさげないぞ!!!